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蟻通神社

蟻通神社(ありとおしじんじゃ)

蟻通神社

町を守った伝説が残る神社

地元では「御霊さん」と呼ばれ親しまれている知恵の神様です。境内にある楠の木は、街中にあるとは思えない程の大木で、安政の大火の時に水を噴いて町を守ったという伝説が残っています。
境内にはイチョウやエノキなどの大木もあり、賑やかな商店街に面してはいますが、静かでくつろげる場所です。

入口正面には黒い大きな馬の像があり、すぐ後ろの楠の木の周りにはふたつの牛の像とひとつの鹿の像が置かれてあり賑やかです。
入口から見えているのは本殿の後ろ側で、ずっと奥に進み突き当りを左に行ったところが本殿正面です。

蟻通神社

蟻通しの由来

むかしのことです。

ここ紀州田辺に外国の使者がやってきました。
その使者は『今から出す問題を解いてみよ もし解けなければ日本国を属国にしてしまう』といいました。そして、持ってきた法螺貝を出して、その貝に一本の糸を通すことを命じました。

日本の神がみは、この難問にたいへん頭を痛めました。その時、ひとりの若い神様が前に進み出て『私が法螺貝にその糸をその糸を通してみせましょう」といって貝の口からどんどん蜜を流し込みました。
蜜は、貝の中の複雑な穴を通り抜けて貝尻の穴へと流れ出しました。そして、この若い神様は蟻を一匹捕らえて糸で結び貝の穴から追い込みました。蟻は甘い蜜を追って、複雑な貝の穴を苦もなく通り抜けました。蟻の体には糸が結ばれていますから法螺貝には完全に糸が通ったのです。

これを見た外国の使者は『日の本の国はやはり神国である』と恐れその知恵に感服して逃げ帰りました。

日本の神がみは、たいそう喜んで『我国にこれほどの賢い神があるのを知らなかった』といって、その若い神様の知恵をほめました。そして、蟻によって貝に糸を通したことにより蟻通しの神と申し上げるようになりました。

今では知恵の神とあがめられています。

蟻通神社と紀貫之公

蟻通神社の御祭神がはじめて文献に登場されるのは、平安朝前期の歌人である紀貫之公の歌集『貫之集』(十世紀中葉成立)です。そこには「ありとほしの神」と貫之が織りなす説話と和歌が記されています。また、清少納言の随筆『枕草子』にも「蟻通の明神」説話が描かれており、少なくとも平安時代以降、蟻通しの神さまは広く世に知られる御存在であったことがわかります。

なかでも、蟻通神社と紀貫之公の伝承を最もくわしく記す書物が、南北朝時代中期に成立した説話集である『神道集』(全十巻五十話)です。『神道集』には、全国の著名神社約40社の縁起などが収録され、第七巻三十八に紀伊国田辺の「蟻通明神事(ありとおしみょうじんのこと)」が記されております。

『神道集』蟻通明神事

紀貫之が紀伊国に補任されたとき、馬に乗ったまま神社の前を通りすぎようとすると、馬が立ちすくんで全く動かなくなった。下乗した貫之に、里人がいう。「この社には、蟻通しの神さまがお祀りされています。お供えをお上げくださいませ。」

これを聞いた貫之は、昔の蟻通しの故事を思い出し、神に献じる歌を詠んだ。

七わたに 曲がれる玉の ほそ緒をば 蟻通しきと 誰か知らまし
【七曲りに曲がりくねった玉の穴に、蟻を用いて緒を通したので、それから蟻通明神というが、今では誰がそれを知っているでしょう】

そうして、神前で奉幣したあと、神にもう一首の歌を捧げた。

かきくもり あさせもしらぬ 大空に 蟻通しとは 思ふべしとは
【大空が一面に曇って、どこが浅瀬ともわからぬ暗闇で星がどのあたりにある〔蟻通=有りと星〕ともわかりません】

すると、馬は身震いして再び立ち上がることができた。

(貴志正造 訳)

蟻通神社御由緒書より

所在地マップ