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世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」について

田辺の市街地では鬪雞神社や長尾坂が平成28年10月に世界遺産に登録されており、王子跡や中辺路と大辺路の分岐点として賑わった宿場町として、多くの史跡が残されています。

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世界遺産とは

遺跡や文化的な価値の高い建造物、貴重な自然環境を保護・保全し、人類にとってかけがえのない共通の財産を後世に継承していくことを目的に、世界遺産条約に基づく世界遺産リストに記載されている物件のことをいいます。

世界遺産は、世界的に顕著な普遍的価値を持つ記念工作物、建造物群、遺跡を対象とした文化遺産、自然の地域を対象とした自然遺産、この両者の要件を満たした複合遺産の3種があり、核心地域【構成資産】(コアゾーン)と緩衝地帯(バッファゾーン)とで構成されます。

紀伊山地の霊場と参詣道とは

「熊野三山」、「高野山」、「吉野・大峯」の三つの霊場とそこに至る参詣道、及びそれらを取り巻く文化的景観により構成されている資産で、平成16年7月に世界遺産登録されました。

田辺市内には、霊場熊野三山の一つ熊野本宮大社とそこに通じる熊野参詣道・大峯奥駈道が登録されています。また、本年7月の第40 回ユネスコ世界遺産委員会において鬪雞神社・北郡越・長尾坂・潮見峠越・赤木越の世界遺産追加登録に向けた審議が予定されています。

 「紀伊山地の霊場と参詣道」は、単なる「社寺と道」ではなく、あくまで「山岳信仰の霊場と山岳修行の道」で、紀伊山地の自然がなければ成り立ちません。また、この自然だけでなく、そこに関わった人間の営みにより作られた農業・森林景観や集落景観など、何世代にもわたって引き継がれ、培われてきた「文化的景観」を保全することが本遺産には求められています。

鬪雞神社(とうけいじんじゃ)

社伝によれば允恭天皇8年(424)の創建。

江戸時代には「新熊野鬪雞(いまくまのとうけい)権現社(ごんげんしゃ)」または「新熊野雞合(いまくまのとりあわせ)権現社(ごんげんしゃ)」と呼ばれます。「鬪雞神社」の名前は明治になってからです。鬪雞神社の社名は、『平家物語』巻11「鶏合、壇浦合戦」に、源平合戦の際に源氏・平氏どちらに味方するか迷う湛増が、紅白二色の鶏を神前で七番闘わせて神意を占い、すべて白色の鶏が勝利したことから源氏に味方したとする物語によります。

 古くから熊野参詣の際は鬪雞神社に参り、心願成就を祈願したとされ、熊野三山の別宮的な存在でもありました(当社に祈願し、三山参詣に替えたとの伝承があります)。

境内地は江戸時代初めの絵図とほぼ変わりなく、明治22年(1889)の流失前の熊野本宮大社と社殿の配置が共通しています。

 社殿は、東より西へ西殿、本殿、上殿、中殿、下殿、八百萬殿の6棟が横一列に並んでいて、本殿は、寛文元年(1661)、上殿は、本殿より古く江戸時代前期、西殿は、元文2年(1737)、中殿・下殿・八百萬殿は、いずれも延享5年(1748)の建立です。

社殿背後の仮庵山の中腹から山頂では、平安時代末期から鎌倉時代初頭の経塚が発見され、当時高級品であった品々が多く見つかっています。

神社に残る獅子や狛犬、絵画には室町時代に遡るものも残されています(約700年前)。

神社の例祭、田辺祭は、紀州三大祭りの一つで、この地方最大の祭りです。

闘鶏神社(田辺観光協会HP)

①闘鶏神社_WBS上田さん.JPG

 

長尾坂・潮見峠越(ながおざか・しおみとうげごえ)

潮見峠越は、三栖荘から左会津川(三栖川)を上って潮見峠を経由し芝村(現在の田辺市中辺路町栗栖川)に至る峠越えのルート。このうち長尾坂は、上三栖から長野の水ヶ峠に至る約16町の坂道。潮見峠は捻木峠から潮見峠に至る古道です。

潮見峠越は、15世紀初頭の古文書に「塩見坂」の記述がみられることから、14世紀には開かれたと考えられ、室町期以降は田辺から高原への近道として頻繁に利用されるようになります。

この潮見峠の名は、新宮から山中に入った旅行者にとっては最初に、田辺から本宮・新宮へ向かう者にとっては最後に海(田辺湾)を望む景勝地であったことに由来します。また、長尾坂には近世の石畳が残されています。

長尾坂(田辺観光協会HP)

水呑峠(田辺観光協会HP)

捻木(田辺観光協会HP)

長尾坂.JPG

捻木アップ.JPG

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