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世界遺産鬪雞神社創建千六百年

闘鶏神社A4(表).jpg

チラシ表面 チラシ裏面

世界遺産鬪雞神社創建千六百年記念事業予定

1月1日 歳旦祭・鬪雞神社創建1600年記念祈願祭
4月21日 鬪雞神社創建1600年記念講演会  ※チラシはこちら
5月5日 お茶とお華の会  ※チラシはこちら
5月13日 藤巌神社例祭 安藤家入城400年記念イベント
7月13日 音楽劇 龍神伝説「恋小柚の瀧」
7月19日~23日 鬪雞神社創建1600年記念「雞合灯籠」イベント
7月20日~9月1日 鬪雞神社創建1600年記念企画展
7月21日~9月16日 鬪雞神社創建1600年記念 第26回特別企画展「鬪雞神社と南方熊楠」
7月24日・25日 田辺祭・例祭(暁の祭典7/25)
8月18日 鬪雞神社創建1600年記念 街なかクイズラリー
8月25日~27日 軍紀・語り物研究会 2019年度大会
9月14日 観月祭・奉納記念コンサート
9月28日 鬪雞神社創建1600年記念 「田辺薪能」(能楽)
10月4日・5日 弁慶まつり
10月12日・13日 鬪雞神社創建1600年記念「木もれ陽」プロジェクト
11月23日・24日 徳川御三家附家老サミット
11月頃 熊野詣を題材にした奉納落語公演
11月頃 街なか散策ウォーク・やまいわいの餅の振る舞いイベント
11月頃 鬪雞神社創建1600年記念シンポジウム
11月頃 安藤家入城400年記念企画展
11月23日 新嘗祭
12月31日 年越大祓式・除夜祭

●記念行事の日程については予定であり、変更する場合があります。

鬪雞神社(とうけいじんじゃ)

社伝によれば允恭天皇8年(419)の創建。

江戸時代には「新熊野鬪雞(いまくまのとうけい)権現社(ごんげんしゃ)」または「新熊野雞合(いまくまのとりあわせ)権現社(ごんげんしゃ)」と呼ばれます。「鬪雞神社」の名前は明治になってからです。鬪雞神社の社名は、『平家物語』巻11「鶏合、壇浦合戦」に、源平合戦の際に源氏・平氏どちらに味方するか迷う湛増が、紅白二色の鶏を神前で七番闘わせて神意を占い、すべて白色の鶏が勝利したことから源氏に味方したとする物語によります。

 古くから熊野参詣の際は鬪雞神社に参り、心願成就を祈願したとされ、熊野三山の別宮的な存在でもありました(当社に祈願し、三山参詣に替えたとの伝承があります)。

境内地は江戸時代初めの絵図とほぼ変わりなく、明治22年(1889)の流失前の熊野本宮大社と社殿の配置が共通しています。

 社殿は、東より西へ西殿、本殿、上殿、中殿、下殿、八百萬殿の6棟が横一列に並んでいて、本殿は、寛文元年(1661)、上殿は、本殿より古く江戸時代前期、西殿は、元文2年(1737)、中殿・下殿・八百萬殿は、いずれも延享5年(1748)の建立です。

社殿背後の仮庵山の中腹から山頂では、平安時代末期から鎌倉時代初頭の経塚が発見され、当時高級品であった品々が多く見つかっています。

神社に残る獅子や狛犬、絵画には室町時代に遡るものも残されています(約700年前)。

神社の例祭、田辺祭は、紀州三大祭りの一つで、この地方最大の祭りです。

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田辺祭について

「田辺祭」は、450年余の歴史をもつ、毎年7月24日・25日に行われる闘鶏神社の例祭で、街をあげての賑わいとなります。

この祭は、旧城下の各商人町から8基の「おかさ」と言われる、京都の衹園祭のような笠鉾が町中を練り歩く、田辺を代表する紀南地方最大の祭礼です。

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 田辺祭の発祥

 田辺祭を古文書でみると、紀州藩主浅野幸長(あさのよしなが)、田辺領主が浅野左衛門佐(さえもんのすけ)の時代であった慶長10年(1605)に、「権現宮祭礼町中改車」、同12年「流鏑馬三騎町より出」という記録があります。また、徳川頼宣(よりのぶ)が藩主になって徳川御三家が成立し、頼宣の附家老であった安藤帯刀直次(あんどうたてわきなおつぐ)の領知となってからの寛永10年(1633)には、一時、能の奉納となったようですが、寛文12年(1672)に袋町(福路町)の鉾の台が車となり、翌年の延宝元年には町中の台が車となったという記録があり、この頃には現在の笠鉾の原形ができあがったようです。

 笠鉾巡業について

 笠鉾は山車の一種で、田辺では一般に「お笠」と呼ばれ、名物のひとつです。

笠鉾を出すのは本町(本町組)、福路町・紺屋町・片町(福路町組)、栄町・北新町・南新町(栄町組)、江川町(江川組)で、紺屋町は大正15年から笠鉾に替えて衣笠、江川町は笠鉾2基と住矢と呼ばれる衣笠を出します。巡行はこの組単位で行われます。先頭を勤めるのは江川町の住矢、それにつづく本町の順は変わりませんが、そのほかの組順は毎年変わります。但し、組内での町順は変わりません。

 

笠鉾の形

笠鉾の上屋には作り物を飾ります。上屋に飾る各町の作り物は、本町が「高砂の尉(じょう)と姥(うば)」、福路町が「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、片町が「関羽(かんう)」(宵宮)と「神宮皇后(じんぐうこうごう)」(本祭)、栄町が「猩生(しょうじょう)」と「神宮皇后と建内宿禰(たけのうちのすくね)」、北新町が「餅花(もちばな)」です。南新町は、町内を東組・南海組・西組・天日組の4組に分け、4年に一度廻ってくる当番組が祭に参加します。「須佐之男命(すさのおのみこと)」(東組)「牛若丸」(南海組)「新田義貞」(西組)「汐くみ」(天日組)はそれぞれの組の守り神で、曳初(例年7月19日)、宵宮の午前、午後、本祭の順に飾り換えます。江川町の2基の笠鉾には「恵美須」と「大黒」を飾ります。

下屋にはお囃子の人びとが乗ります。笠鉾下屋に乗るお囃子は、太鼓・小太鼓・横笛・三味線の組合せと太鼓・小太鼓・横笛・鉦の組合せ(片町と江川町2基)があります。 奏でる曲は、黒髪・越後獅子・娘道成寺・新曲浦島・三番隻・雪月花・岸の柳・小鍛冶・深川・祇園囃子・戻り囃子などで、地唄などの合いの手を組合せたものもあり、町ごとに優美を競います。

行列の構成

笠鉾巡行の行列は、鬼1人、先囃子の子供、太鼓3人、笛3人、世話役数人、警固4~15人、笠曳き9~20数人、高張提灯持ち10人程度という構成になります。 本町は鬼ではなく天狗(猿田彦命(さるたひこのみこと))2人となります。

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巡業の様子

行列は、宵宮の朝、本町に集合し闘鶏神社からの神輿を迎えて、神輿渡御に随行し、潮垢離の儀を勤めてから各町を巡行し、夕方には神社前に曳き揃えられます。

午後7時頃に笠鉾は鳥居前を勤め「つれもていこら」で旧会津橋へ向かい、橋の上で再び曳き揃えられます。笠鉾の紅提灯が川面に映る情景は、田辺の夏の風物詩です。

25日の本祭では、笠鉾はそれぞれの町内を曳き廻り、正午に旧会津橋に曳き揃えられ、見どころのひとつである「七度半の使い」の儀と潮垢離の儀が行われます。 夕方に神社前に曳き揃い、午後7時30分頃から宮入りとなります。 住矢が最初に神前を勤め、そして「笠やぶち」(住矢の解体収納)をします。 その後、笠鉾は順番に宮入りして、得意のお囃子を奏して神前を勤めます。  闘鶏神社の二の鳥居前で三人の稚児による流鏑馬が披露された後、手打ち式があって田辺祭は終ります。笠鉾は、先囃子の稚児たちを上屋に乗せて、あおい通り・湊本通り・栄町をへて各々の町への帰途につきます。

住矢

住矢は名のとおり、町々の住居(すまい)を矢のように走って厄を祓い清め、一年間の無事安泰を祈願する役を果たす衣笠です。 また、常に神輿や笠鉾の先頭にたって巡行路を清めて行きます。 一度通った道を後戻りすることはなく、右に廻らないのが仕来りです。 住矢の御神体は松にあります。 7~9段の枝があって形の良い雄松を選び、葉をふのりで固め枝ぶりを整えます。 住矢は江川町が担当します。

弁慶まつり

源平合戦期に弁慶と湛増を中心に繰り広げられた熊野水軍のドラマを壮大な時代絵巻として再現。当日は、弁慶ゲタ踊りや弁慶よさこい踊り、弁慶鬼若太鼓などがにぎやかに行われます。

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弁慶まつりホームページはこちら

弁慶市(弁慶市案内のページへ

弁慶市とは、毎月第3日曜日に鬪雞神社で開催される朝市のことです。地元産品や周辺町村の産品などをはじめ掘り出し物が盛りだくさん。毎月遠方から、多くの買い物客や観光客で賑わいます。

 

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