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Kumano Kodo Pilgrimage routes

熊野三山への信仰は、霊が宿る熊野の山へと向かう苦行によって、一切の罪業が消滅すると信じられ、当初は皇族を主に、その後、武士や庶民にも広がっていきました。
今では「紀伊山地霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されています。

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路傍の道標 - 田辺の城下町と熊野古道 -

dessin01.jpg庶民が盛んに熊野詣をする近世には、旅人たちは田辺の城下町を往来するようになる。江川の桝潟(升形)・本町・寺町(江川3力寺)、会津大橋・小橋、本町、下長町・上長町(今の栄町)、北新町のコースである。(熊野道は、城下町の内に政治的経済的に位置づけられる)北新町(三栖口)の道標は、往時の賑わいを今に伝える貴重な史跡である。高さ218cm、幅厚約30cmの石製角柱で、安政4年(1857)の秋、大阪西横堀炭屋町の石工・見かげや新三郎が再建したものである。

三栖口は、熊野道の中辺路ルートと大辺路ルートの分岐点で、本町・栄町方面からやってきた旅人は、「左 くまの道」に従って普通は万呂・三栖方面(中辺路)へ進むわけである。小さい字で「すくハ 大へち」とあるのは直進すれば礫山・新庄方面(大辺路)へ続く事を示している。
逆に万呂方面からやって来ると「右 きみゐ寺」に従い栄町・本町へと進むことになる。

安珍を追いかけて来た清姫が槙山の中腹捻木峠から田辺を望むと、安珍が通通していたと言われているのがこの三栖口である。

栄町(長町)は熊野詣の旅人宿で賑わいをみせていた町並みであり、「三栖口の道標」は田辺のメインストリートの繁盛ぶりを今に伝える責重な史跡といえるだろう。

(濱岸 宏一 : 田辺市文化財審議委員)


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