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Kumano Kodo Pilgrimage routes

熊野三山への信仰は、霊が宿る熊野の山へと向かう苦行によって、一切の罪業が消滅すると信じられ、当初は皇族を主に、その後、武士や庶民にも広がっていきました。
今では「紀伊山地霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されています。

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一里塚 -近世の熊野古道に存在-

熊野古道といえば、沿道に九十九王子があり、上皇や貴族が熊野参詣のために通行した中世の道が考えられがちである。しかし、一般庶民が熊野参りや西国巡りで歩いた近世の道も、熊野古道であることに変わりがない。

この近世の熊野古道は、田辺市内では、芳養の大神社のわきを通り、会津橋を渡って三栖ロから潮見峠に向かうが、道端に一里塚があったのが特色で、芳養松原、下万呂、下三栖、長尾坂の4カ所に塚跡の場所が確認でき、市教委が文化財の標柱を建てている。

一里塚は、道の両側に塚を築き、その上に松が植えられていて、里程の目印になり、また旅人の休息の場所でもあった。これは和歌山から一里ごとに設けられたもので、芳養で十八里、三栖でちょうど二十里であった。

今はどこにも塚や松が残っていないが、芳養の一里塚跡には、地蔵をまつったお堂があり、エノキが道の上に張り出していたりして、昔を偲ばせるものがある。

(杉中浩一郎:田辺市史編さん委員長)

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芳養一里塚

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