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世界的博物学者 南方熊楠さん

たなべの三偉人のひとり 南方熊楠さん

日本のエコロジストの先駆け

近代日本の博物学、民俗学に大きな影響を与え、植物学の世界的な研究者としても知られる南方熊楠さん。

幼い頃から学問好きだった熊楠さんは、東京大学予備門へ進学するも、学問への欲求が満たされず退学。20歳でアメリカへ渡り植物の研究に没頭し、25歳でイギリスへ渡ると大英博物館を拠点に当時最先端の学問を吸収。科学雑誌「ネイチャー」などに数多くの論文を投稿し、研究者として名を上げていきました。33歳で帰国した熊楠さんは、那智山での植物調査を経て田辺に定住。その生涯を研究に費やします。

熊楠さんの研究で特に有名なのが「変形菌」。当時36種だった日本の変形菌相に178種を追加し、昭和天皇へのご進講を務めたことも。また、神社合祀反対運動をきっかけに自然保護にも尽力。いまとなっては世界遺産登録を果たした熊野の森や神社も保護し、エコロジストの先駆けとして注目されています。

知れば知るほど惹きつけられる知の巨人

植物学や民俗学のほかにもあらゆる学問を研究していた熊楠さんですが、その功績は没後の顕彰によって知られることに。しかし、その膨大で奥深い研究成果はいまだ全貌が明らかにならず、熊楠さんに魅せられた研究者によって日々研究が進められています。

一方、人並外れた奇抜な行動も話題となる熊楠さん。幼少期に当時の百科事典「和漢三才図会」105巻を書き写したことや、晩年、昭和天皇へのご進講の際に動植物の標本をキャラメル箱に詰めて持参したことはいまも語り草となり、日常生活への無頓着さや驚異的な記憶力に関する逸話も多数残しています。 いまだ全貌の見えない学問と、ときに奇人とも称されるエピソードで人々を惹きつける熊楠さん。田辺に残る熊楠さんの足跡をたどると、その深遠な思想や人物像が垣間見えるかもしれません。

南方熊楠さんとたなべ

たなべでの暮らしぶり

熊楠さんは37歳で田辺に移り住み、亡くなるまでの半生を田辺で過ごしました。あらゆることを研究材料としていた熊楠さんにとって、自宅は生活の場であり観察の場。飼っていた動物たちも観察の対象だったとか。奇抜な行動が話題にされがちな熊楠ですが、実際は学者先生として敬意を集めていたそうで、田辺の人々からは「南方先生」や「熊楠さん」と呼ばれ、親しまれていました。

神社合祀反対運動と熊楠さん

手つかずの森と地域の風習・伝承が残る神社は、植物学や民俗学の観点で重要な場所で、熊楠さんもよく調査に訪れていました。しかし、明治政府が地域の神社をひとつにまとめる神社合祀策を推進したことで各地の神社が次々と破壊され、熊楠さんはついに反対運動を起こします。この反対運動により守られた神社は多く、田辺市街地に点在する神社にも熊楠さんのエピソードが残ります。