世界的博物学者・南方熊楠さんの足跡をたどろう!
田辺の三偉人のひとり南方熊楠さん。若いころから海を渡り最先端の学問を吸収し、近代日本の植物学、民俗学に大きな影響を与えた世界的博物学者です。田辺でその半生を過ごし、地域の神社や森での調査研究、神社合祀反対運動などを行い、田辺には熊楠さんにまつわるエピソードがたくさん。ゆかりの地を巡って、知の巨人・熊楠さんの足跡をたどってみよう!
コースガイド
■コース
①JR紀伊田辺駅→②南方熊楠顕彰館・南方熊楠邸→③磯間浦安神社・神島→④日吉神社→⑤神楽神社→⑥鬪雞神社→⑦八立稲神社→⑧高山寺→⑨JR紀伊田辺駅
■歩行距離:約8km
■所要時間:3時間30分~4時間
※所要時間は目安です。歩行速度や見学時間により変動します。
JR紀伊田辺駅から出発!
750m(徒歩約10分)
南方熊楠顕彰館・南方熊楠邸
南方熊楠顕彰館は、熊楠さんが暮らした邸宅の隣に開設された資料館。熊楠さんが遺した蔵書・資料等を見ることができます。
熊楠さんにまつわる展示会やイベントも開催され、バッグや文具などオリジナルグッズも販売しています。
熊楠さんが暮らした約400坪の邸宅は、熊楠さんが暮らしていた当時の様子をそのまま残しています。広い庭は研究園そのもので、熊楠さんはここで新属新種の変形菌(ミナカテルラ・ロンギフィラ)を発見しました。大きな楠や柿、みかんなどたくさんの樹木が当時を偲ばせます。
■南方熊楠顕彰館
電話/0739-26-9909
時間/10:00~17:00(入館時間は16:30まで)
休日/月、第2・第4火曜日、祝日の翌日(土日祝は除く)、12/28~1/4 ※臨時開館・休館あり
料金/邸宅観覧料 一般350円、高校生以下無料
1.3km(徒歩約15分)
磯間浦安神社・神島(遠望)
昔から神の島として信仰される神島。珍しい植物が繁茂していたことから熊楠さんもたびたび上陸して生態調査をしており、神社合祀によりこの島の樹木が一部伐採されたときには強く保全活動を展開しました。
昭和天皇行幸の折には、ここをご案内した後、お召艦「長門(ながと)」の艦上にてご進講をし、熊楠さんにとって大変な名誉となりました。
磯間浦安神社の前から神島を望むことができ、熊楠さんは写真の裏書にここからの眺めと神社合祀への反対意見を述べています。
熊楠さんの保全活動の末、神島は国の天然記念物になり、生態系の保護のため許可なく上陸することは禁止されています。
500m(徒歩約7分)
日吉神社
日吉神社は高山寺の猿神社と同じく猿神を祀っており、祭りの神輿のご神体や狛犬もお猿さん。神楽神社とともに、熊楠さんの反対運動により合祀を免れました。
300m(徒歩約5分)
神楽神社
神楽神社周辺のうっそうとした森は独特の植物相で、熊楠さんはたびたび採集に訪れ、境内のため池で珍種の藻を発見。熊楠さんが社叢の保全を強く呼びかけ、合祀を免れました。
1.2km(徒歩約15分)
世界遺産 鬪雞神社
熊野三山の別宮的存在で世界遺産にも登録されている神社。
熊楠さんは境内の森「仮庵山(かりおやま)」を「クラガリ山」と呼び、平地ではなかなか見ない密林であるとして調査研究しました。
また熊楠さんの妻・松枝はこの神社の宮司の娘で、結婚前にはなにかと理由をつけて松枝に会いに通っていたというほほえましいエピソードも。
1.7km(徒歩約25分)
八立稲神社と西八王子宮
八立稲神社と西八王子宮も神社合祀の舞台となりました。
八立稲神社は、もともとは東八王子社という名前でしたが、1873年に上ノ山東神社に改められ、その後1907年に八幡、出立、稲荷の3つの神社が合祀され「八立稲」神社という名前に。
西八王子宮は一度は上ノ山東神社(現在の八立稲神社)に合祀されたものの、地元住民の強い反対により復社。熊楠さんが残した記録によると、この場面で「兵隊帰りの植芝なる豪傑」が登場しており、これが合気道の開祖で田辺の三偉人のひとり植芝盛平さんだと思われます。
1.5km(徒歩約20分)
高山寺
熊楠さんの墓所がある真言宗の古刹。海を見下ろす高台にあり、熊楠さんは生涯の親友であった喜多幅武三郎の墓所のそばで眠っています。
境内には熊楠さんがよく採集に行き、新種の変形菌(アオウツボホコリ)を発見した猿神社跡も。猿神社が合祀され跡地の植物が伐採されたことが神社合祀反対運動のきっかけとなりました。
1km(徒歩約15分)
高山寺散策後は、山門方面から大師橋、大師通を通ってJR紀伊田辺駅まで戻りましょう。