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福路町(ふくろまち)

日本武尊(やまとたけるのみこと)

景行天皇の皇子で、熊襲や東国征伐をするなど荒ぶる神々を平定しましたが、能煩野(のぼの)(三重県鈴鹿郡)で亡くなり、白鳥となって天に飛び翔ったという悲劇的な伝説があります。

皇子の御姿は滋賀県の建部大社の宝物「日本武尊像(掛軸)」を原形とし、現在のものは二代目になります。
「古事記」では倭建命と記されています。

福路町

田辺城下八町の一つで、もとは「袋町」と書きました。明治3年に吉字の「福路町」とされました。

町名の由来は、片町から続く水路が袋状の船溜りになっていたことから付けられたとも、城の大手門横手に袋小路の町を造ったことからとも伝えられています。

福路町は、もともと細工職人が住み、細工町の様相を有していました。

田辺城より町の繁栄策として、正保2年魚店営業が、貞亨元年には塩魚座が許可され、城下に入る魚販売に関しほぼその独占権を得ました。その結果さらに多くの魚売商が集まり、他にも多業種の商職人が集まりました。

慶応年間ごろにはかまぼこ製造が本格化し、現在も数軒の蒲鉾店が残っていることから、近年は「かまぼこ通り」と呼ばれ田辺の名所として注目されています。