田辺城水門跡(たなべじょうすいもんあと)
田辺城は錦水城(きんすいじょう)ともいわれ、浅野氏が会津川河口左岸に湊城を築いたあとに、元和5年(1619年)安藤直次が田辺藩主になってから築城した平城で内堀と外堀が掘られていました。明治初年に廃城となり城郭は解体され、その後、堀も埋められました。今では、会津川に面した水門跡がわずかに昔の面影を残しています。また、町割りは外敵の侵入を遅らせるため全てT字路で交わるように計画されました。
田辺城は錦水城(きんすいじょう)ともいわれ、浅野氏が会津川河口左岸に湊城を築いたあとに、元和5年(1619年)安藤直次が田辺藩主になってから築城した平城で内堀と外堀が掘られていました。明治初年に廃城となり城郭は解体され、その後、堀も埋められました。今では、会津川に面した水門跡がわずかに昔の面影を残しています。また、町割りは外敵の侵入を遅らせるため全てT字路で交わるように計画されました。